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雅・処

好きな俳優・映画・演劇などエンタメ一般やスポーツについて自由に語ります。

落ちこぼれから伝説になったロックミュージシャン、尾崎豊

世の中が軽チャー全盛だった'80年代中盤、「パチ・パチ」という音楽雑誌が創刊されました。ロックミュージシャンやシンガーソングライターの若手を扱ったこの雑誌で、米米CLUB、渡辺美里、ストリートスライダース、BOWY等沢山のミュージシャンの名前を覚えました。


その雑誌記事の中で、いつもセピア色やモノクロの写真、黒いサングラスに顔を隠した10代後半の尾崎豊は妙に気になる存在でした。アウトローなムードと、頑なでナーバスなのかと思えば、明るい面もあるようなこの若者は「一体どんな歌を歌うのだろう?」そんなシンプルな興味から、手にしたデビューアルバム『十七歳の地図』。これを聞いたときのハンマーで殴られたような衝撃は今でも忘れられません。


歌の上手さは抜群でしたが、それ以上に胸をえぐるような鋭い歌詞。リアルでストレートで、痛みを感じる言葉の数々、この若さにして人を惹きつける圧倒的な才能。毎夜、尾崎の歌を聴きながら何か心に込み上げてくるものを感じました。校内暴力全盛期、決して学校やら社会に特別激しい反抗意識も持ってませんでしたが、ただただ、なにかうっとおしく息苦しい・・・そんな気分が充満していて。


そんな私ですら尾崎の歌に衝撃を受けていたのですから、尾崎19歳にして行われた代々木オリンピックプールでのコンサート、ここに駆けつけた若者の多くは熱狂的な波動に突き動かされていたに違いないと思います。中には醒めた目で見ていた観客もいたそうですが、深夜のTV録画で、モノクロの映像から波打つようなファンの叫び声は、その後、尾崎が「教祖」と語られてしまうだけの圧倒的な迫力に満ちていました。彼には、その後も熱狂的なファンとアンチがいつでも同居してしまうような混沌とした部分があったのだと思います。つまり良くも悪くも人を注目させてしまうエネルギーなのでしょう。

【 再会の後に・・・ 】


尾崎に再会するのは、それからだいぶ経って彼が亡くなるおよそ1年前。「BIRTHツアー」でした。何気に、アメリカへの充電&活動休止期間、覚醒剤による逮捕、結婚などの断片的な情報は入ってきてましたが、その時はせいぜい、「あの尾崎の”脆くてナイーブすぎる感性”はいつまで持つんだろうか・・・?」とふと思ったりしていた程度です。BIRTHツアーの最初の頃に行ったコンサートでは、途中、意味不明なパフォーマンスをやって観客を置いてけぼりにしていたし(苦笑)、そうかと思えば満面の笑顔でアンコールで歌ったり、と久しぶりのライブに照れや緊張?を感じているようでした。


10代の頃に”教祖”然と尖っていた尾崎の姿は微塵も見られず、当たり前に年を重ねている一人のミュージシャンの姿でした。ツアー2度目*1で見た時は、巨大な鉄パイプのセットの上に登り、笑顔で観客に「もっともっと」と両手を振りながら、要求している尾崎の姿が今でも目に浮かぶようです。


'92年4月25日、突然に尾崎が他界しました。その数日後、凍りつくような護国寺の雨の中、追悼式に行ってきました。そのファンの葬列は、実に池袋サンシャインの下まで続いており、なんともやるせない気分になりました。


その更に6年後、今度はhide*2という稀有なミュージシャンも失うことになり、その時こそは「私の中の何かが終わってしまった・・・」と感じたのですが、私の想いがどうだろうとあの失われた偉大な才能を思うと今でもどうしようもなく悔しく思ってしまいます。
死んで巷でどんなに崇め奉られようとも

  死んじゃったらお終いだよ

というのが二人もお気に入りのミュージシャンを失った、何よりもの実感です。


尾崎は、もちろん名曲を沢山残してますが、ふとたまに聴きたくなるのが『街路樹』です。曲を書けなくて一番苦しんでた頃ではないかと思うのですが、この不思議に温かい曲は、尾崎というミュージシャンのごく普通の素顔を感じさせてくれるのです。


十七歳の地図

十七歳の地図


まだ声に瑞々しさを感じるデビューアルバム。
ここから伝説が始まりました。

回帰線

回帰線


青春時代の痛みを鋭く描いた作品群。
やはり天才としか思えません。

*1:尾崎豊の生前最後のライブ、の1日前でした。

*2:X JAPANのギタリスト、ファンの間で絶大な人気を誇り、ソロ活動も成功させていました。アナーキーだけど素顔はとても優しいお兄ちゃんでしたね。