雅・処

好きな俳優・映画・演劇などエンタメ一般やスポーツについて自由に語ります。

カシちゃん卒業前夜に思ったこと

宙組千秋楽、カシちゃん(貴城けい)の最後の舞台が終わりました。私は、前々楽・前楽・楽入りしか見ることができませんでしたので、その後の詳細情報は明日以降ネットなどで仕入れることになります。前楽の様子も書きたいし、いくつか思いを一新したこともありますが、前楽の夜にふと思ったことを最初に書きなぐって(笑)おこうと思います。

【カシちゃんは最後の舞台で、泣けるだろうか?】


彼女はずっと舞台の上で、人前で、悲しみの涙を見せることができなかった。もし涙を流せば、彼女を愛する周囲の人々を悲しませる、嘆かせる、傷つける、苦しめる、心配させる。さらには過剰な同情や怒りを呼び起こすかもしれない。「悲劇のヒロイン」として注目されるのは、彼女の本意ではないはず。自分が信じて培ってきた実力へのプライドもあるだろう。


応援しているファンの目には、「今を盛りの大輪の花が無残にもぎ取られてしまった」ように映って、その惨さや痛ましさがどうしても先走る。これは試練だ、と言うことは簡単だ。その受けねばならない試練の時が今だっただけなのかもしれない。しかし、彼女だって類稀な美貌など容姿や素質には恵まれてはいたものの、何の苦労もなしにこの地位を得たわけではないはず。それは今まで上りつめたスター達と変わらない苦難の日々だったと思う。


人々の声援、心からの応援、サポート、深い愛情は、カシちゃんにかけがいのない喜びと感動を与えただろう。だからここまで走ってこれることができた、とこんな苦しみの中で何度もお礼を述べる。その言葉には、嘘はないはずだ。しかしながら、最後の日までトップスターとしてのしかかる責任感という名の重圧は、声無き叫びとなって彼女の心のどこか一部分をことごとく痛めつけたのではないだろうか。


(短期就任という条件付?)トップスターの内示から電撃退団発表、そしてこの千秋楽の最後の舞台まで、彼女は不本意にも「道化」を演じなければならなかった。哀しみを押し殺し、笑いをたたえ、その痛ましさが胸をつまらせるほど。悲しいほど美しい笑顔の裏側で、置いてきぼりにされた本当の気持ちはどこにやり場を見出していたのだろうか?


一番辛いのは、誰にも心を打ち明けられず、鎧を着て闘いに臨まねばならなかった過酷な日々のこと。苦しみでさえ、自分一人だけのものではない(数千人、数万人のファンが固唾を呑んで見守っているから)、そのことの重みは想像を絶するほどだ。弱音を吐くことはもう一人の自分が許さない。だから涙は封印して、誰にも決して弱みを見せることはできない。


彼女はステージに立つ。ありったけの思いをこめて。ありったけの感謝と真心をこめて。今、この時の最高の自分を、余すところなく人々の瞼に焼き付けてもらうために、完全燃焼するために。スポットライトの中で一人で舞う。最後の一分一秒、かけがえのない時間。短い時間の中で自分を信じて支えてきてくれた愛する仲間と共に。


演出家の先生達、仲間達、ファン、皆が「これからの人生に幸あれ」と心から祈っている。今でもきっとその愛情は彼女に通じているだろう。時折たじろいでしまうほどにその力は大きく揺るがない。愛が強すぎて、それにどう答えたらいいか、分からなくなってしまうくらいだろう。だから受けた愛の多い分、お返しできずに悲しませてしまったであろう人々の心に詫び続けている。


カシちゃんを愛する全ての人々の限りない愛は、一つの大きなパワーとなって彼女に光を与えるはずだ。だからもう彼女に失うものはない(と願っている)。信じるものができたから。迷ったり、悩んだり、誰にでも起こり得ることはこれからもあるだろうが、大きな試練だったからこそ、乗り越えた時には晴れ晴れとした喜びが生まれるだろう。


最後の舞台の上で、カシちゃんは爽やかに笑っていただろうか。それとも費やした日々の思い出や、愛する宝塚への永遠の別れの瞬間に心から涙しているのだろうか。どちらも素敵だと思う。でも、できたら最後のその一瞬は、頑張り続けた自分を誉めてあげて欲しい。そして、これからはもっと素直に、時折わがままに甘えたり、拗ねたり、して皆をてんてこまいさせて欲しい(笑)。


カシちゃん、卒業おめでとう。