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雅・処

好きな俳優・映画・演劇などエンタメ一般やスポーツについて自由に語ります。

一世風靡SEPIAの思い出(1)

何度か書きたいなあ、と思っていながらも、なんとなく躊躇していたのが一世風靡哀川翔氏のこと。たまたま彼が、先日の『オーラの泉』に出演したことをきっかけにして、これを機会に!と思い立ちました。


彼については、「Vシネマの帝王」だとか「アニキ」なんて愛称で呼ばれるほど、個性派役者*1として、確固とした地位を抱いていますが、ちょっぴり複雑な気分になります。'84年に鮮烈なデビューを飾り、巷に旋風を巻き起こした男性集団一世風靡SEPIA。その中で、暴れん坊のやんちゃ小僧”翔ちゃん”と未だに一致しないのです。


私が初めて一世風靡というグループを知ったのは、往年の歌番組「夜のヒットスタジオ」でした。”ソイヤ!ソイヤ!”の掛け声で始まる「前略、道の上より♪」については、当時ヒットしていたので何気なく耳にしてはいたものの、歌う姿を見たのは2作目となる「道からの組曲♪」でした。


当時はアイドル全盛期、キャピキャピと浮かれたムードの中で、異様にも映る暗い色合いのズートスーツ*2姿の男達7人。その圧倒的に男くさい風貌と独特の和風サウンド、カメラを睨みつけながら歌う緊迫感、ややぎこちないけれど気迫の篭った踊りに目を奪われました。あまりのインパクトに「なんだか分からないけど凄いわ、この人達!」という衝撃に襲われて。

【メンバーについて】


もともとその時から、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」にレギュラー出演していた柳葉敏郎武野功雄のメンバーは知っていました。欽ちゃん番組を欠かさず見ていたので、初々しいギバちゃんの初登場も覚えています。


メガネに七三分けの”良い先生”役。秋田弁で生真面目なところが妙に可笑しいキャラを好演していたため、親近感を持っていたのです。その後、一世風靡が有名になるに従い、欽ちゃんにも「渋谷で踊ってるんだって?」と突っ込まれて、ギバちゃん自身が苦笑いするようなことが多くなっていきました。


毎週日曜、渋谷のホコ天でストリートパフォーマンスを展開していた劇男一世風靡が母体集団。全員が本職を持ちながらも、<道>に拘り続けているコワモテのメンツは約30名ほどいました。その中で音楽活動をしたいと自己申告した7人が、SEPIAというわけです。


ギバちゃんは、一世風靡内では「ジョニー」と呼ばれ、その負けん気の強さと華のある男っぷりで翔ちゃんと人気を二分していました。実は、最年少でありながら、どう見てもリーダーの風格を持っていた(笑)小木茂光氏もいまやいぶし銀のような役者としてドラマや映画で活躍中。


春海四方氏は、ほんの数年前に舞台版「スタンド・バイ・ミー」を見に行ったら、父親役で出演していてビックリ。頭髪は少し寂しくなってましたが、知らなかっただけで地道に役者業もしていたようです。東大出のコンピュータエンジニア、松村冬風氏は、ソロアルバムを発売後「首都喪失」という映画で見かけたのを最後に所在不明です。個人的に一番、その後が気になる人です。


パントマイマーだった西村香景氏も、解散後はどうなったのか?武野さんは、寿司屋を継ぐということでSEPIAから脱退したのですが、団長の平賀雅臣氏とTV「ビーチボーイズ」などにも出演していたり。何気にフジテレビと関係の深い?一世風靡の元メンバー。


一世風靡SEPIA結成当時、翔ちゃんは24歳前後。とにかくハツラツとしてて、目を引くカッコマンぶり。鉄砲玉のような瞬発力と行動力で、そして勢いある喋りっぷりでいつも驚かされていました。また、そのガタイに似合わぬ高めの声と笑顔がラブリーで、どこか憎めない”弟分”的な位置に居ました。


当時は、ギバちゃんとの微妙なライバル意識?も見え隠れしていましたし、SEPIA自体が最初から仲良しの集まりではなく、単に目的が一緒だっただけ、というドライな関係のグループだったので、独特の緊張感が漂っていたのも斬新でした。その頃まで女性歌手か少年グループにしか目がいかなかった私が、最初にハマった男性集団がこのSEPIAで、自分でも不思議に感じたものです。



トレードマークの和風サウンドとは正反対のダイナミックなサウンドで驚かせた「賽を振れ!」。このPVが一番カッコイイかな。どことなく'80年代のマイケル・ジャクソンの影響(→主に悪役の外人に)なんかも感じさせられる映像です。それにしてもめっちゃオトコくさ〜い。

*1:はたまたちょっとコワモテの親父キャラとか

*2:だぼだぼのスーツ