雅・処

好きな俳優・映画・演劇などエンタメ一般やスポーツについて自由に語ります。

曽世海司オスカー卒業記念パーティ

すでに記憶の彼方に・・・

トーマの心臓」仙台公演終了後、曽世さんのオスカー卒業記念パーティが開催されました。100%満足とはいかない観劇だっため、余韻に浸りきれなかった、ということもあって集中力がやや散漫になっていました。深夜のパーティ明けすぐに出勤→現実に引き戻されたこともあり、残念ながら重要なことはほとんど覚えてません(汗)。


曽世さんが語った想いの”あれこれ”については、長年ライファーをやってきてますので、今更改めて語られなくても、ひしひしと伝わっていたことばかりでした。(だから言葉自体としては、あまり覚えてないのかも・・・すみません)


「オスカーという役に出会えて成長できて良かった。」「支えて下さった沢山の方々へ感謝」ということを、よどみないトークで繰返し話しておりました。

◆パーティの内容◆

・Q&A → 曽世さん入団時の印象、「トーマの心臓」の思い出 等
・ご来賓の挨拶(倉田さん)
・卒業証書授与(石飛さん)
・お祝いの品授与(同上)
・卒業生に贈る言葉(山本、松本)
・曽世さんのスピーチ

司会進行:藤原啓児/アシスタント:石飛幸治/ご来賓:主宰、倉田淳、山本芳樹、松本慎也/幹事兼雑用:吉田隆太


いつものごとく、どうでもいいこと(?)ばっかり覚えてますがそちらを書くことにしましょう。会場となった恵比寿亭は、一番町アーケードの中の2階でした。入口での記念品*1配りは、制服姿の吉田くん。メイクもまだ落としきらないままの状態でしたが、いつも爽やかな笑顔で、迎えてくれました。


お店の最大収容人数定員は120名ですが、参加者はもっといたかもしれません。全員が座ると足の踏み場がないほどで、一人が通るのもやっとのことでした。人数が集まりすぎて会場変更になった時に、なんとなくお店の名前が曽世さんに縁があるような気がしていましたが、やはり偶然ではなかったようで、この名前で決めたのもあるらしい。でも満員電車並で、ちょっと疲れました。


中央モニターには、歴代「トーマ」の公演映像(音声なし)が繰返し流れておりました。この映像、萩尾望都原画展で流れていたものと同じだったと思います。レトヴィ役の石飛さんの映像が流れると「若~い!」とどよめきが起こっておりました。ホント大好きだったなあ、このレトヴィ。


藤原さんが始めに「皆様の中で終電を気にされる方はどのくらいいらっしゃいますか?」とこわごわ質問していたのですがシーンとなり、「誰もいらっしゃらない!すーばらしい!!」と興奮。はい、そもそもこの町じゃ、こんな時間まで動いている公共交通機関はございませんもの。もっとも仙台近辺の出席者すら数えるほどじゃないか、と思うくらい遠方のライファーさんばかり。


まあ全盛期ほどではないとしても、平日の深夜にこれだけの女性ファンを集客する底力があるんだなあ、恐るべしスタジオライフ!いくつかの小料理とビールやジュースなどの飲み放題でしたが、役者達のトークに真剣に耳を傾けつつも、ガンガン飲み物が消費されていき、合間に芳樹君が「こちらに飲み物下さーい!」などとプチ接待(笑)をしてくれる不思議な空間でした。

【笑いの絶えない思い出話】


まずは司会進行役の藤原さんから、いくつかの質問がありました。曽世さんが入団した頃の思い出話から。3日間ほどあったオーデションの最後の頃、一緒に受けていた男性から「この劇団、男だけなんだよね。」と聞かされて「えー、ウッソー!」と衝撃を受けたこと。しかし、すぐに「まあ、そういうのもありかな。」とすぐに受け入れてしまったこと。


倉田さんの曽世さんに対する印象は、<当時からとにかくお喋りがすごかったのは今と変わらず。同期の中でもリーダーシップをとっていて、何事も真摯に挑むことができる人で、この人ならば是非・・・>と期待をかけていたことを語っていました。


再演の「トーマの心臓」が初舞台で、いきなりバッカス役に抜擢。また当時アンダースタディという制度があり、笠原さんの代役としてオスカーの台詞を覚えていたそうです。再々演では、オスカーを役代わりで4回だけ演じることになり、山本ユーリと初めて組んだけれど、その4回だけのために稽古は割かれないので、ほとんどぶっつけ本番だった話なんかも出てました。


その時、大役を与えたのは、「曽世くんは、それまであまり挫折がなかった人生のようだったので、挫折の”ざ”の字くらいは感じてもらいたかったから。」と語る倉田さん。それを受けて藤原さんが曽世さんの高校の話を持ち出しました。広報等で何度か仙台に来た時に、曽世さんが仙台○高出身だと紹介すると、どこでも一目置かれた、ということ。*2


その上、あの強烈なキャラクターだし、そりゃあ確かに挫折を知らない人生だったろうなあ~なんて。今回の公演でお世話になった東北放送のCさんは、曽世さんの同級生ということで、ここから今回の公演が実現した理由を知りました。


曽世さんは、後にユーリも演じましたから、「これでエーリクを演じたら、一人・トーマの心臓ができますね。」と語る倉田さんに爆笑。それらを受けて曽世さんが語った感想が・・・うーん、覚えてない(汗)。


逆に曽世オスカーが今回卒業になった経緯については、倉田さんの毒舌が全開(笑)。やんわりと語ったところによると、やはり「お歳」のことらしい。オスカーには、階段を2、3段抜かしで駆け上がるくらいの体力が欲しい、というようなニュアンスで。あまりの遠慮ない(?)言葉の数々に、

「ボクの翼じゃダメ?」と返した曽世さん(爆笑)。更には、
「ボクには翼がないっ!」っと素晴らしい切り返しに拍手&爆笑の渦。


それでも曽世さんは平然と苦笑いするくらいで、この強さがあるから倉田さんは、男だけの中でも引っ張っていけるんだなあ、と別な意味で感心しちゃいました。

【涙ぐむ曽世さん】


曽世さんが本気で感動していたのは、石飛さんの贈り物贈呈のシーン。最近は、キャスティング会議などにも参加して劇団の重鎮となってきている石飛さん、日常生活でも超多忙らしいです。


その石飛さんが、仙台公演の前日に青森まで飛んで、萩尾先生に曽世さんへ贈るメッセージカードとお土産をもらってきた、と聞くと、「忙しいのに何やってるの!」とツッコミを入れつつ、驚き→涙目になっていきました。


きれいにラッピングされた箱と紺のリボンは、石飛さんのお手製のもの。公演中の空き時間に作っていた、ということでまたまた驚きの声。中身は「星の王子さま」の小さなマグカップでした。曽世さんは、この作品の舞台版への客演がきっかけで、初めて原作を読んで大好きになり、姪っ子にも絵本をプレゼントした、という話も。


本を読んで、「人間にはやっぱり”想像力”が大事だな、と思います。想像力が欠けると、悲しい事件が起こったりするんじゃないかと。」としみじみ語る曽世さん。石飛さんは、「卒業すると(シュロッターベッツの)制服は着れないけれど、まだまだ曽世さんにはいっぱい出てもらいたいから。」と笑顔でエールを送ってました。


芝居中も泣かないでいよう、と心に決めていたのが、主宰がクラッカーを持った瞬間に涙腺が切れた、と言ってましたし、萩尾先生からのメッセージと贈り物には、素で感動しているのが分かりました。10年来の曽世ファンの友人が、「芝居以外で泣いた曽世さんを初めて見た。」と言ってましたが、そうだっけ~?!と逆に驚いたり。


松本君、芳樹君、曽世さんとまとめのスピーチがあったのですが、内容が思い出せない・・・。肝心なところがいっつも抜けてしまうのが、私のクセ。仲間の優しいねぎらいの言葉とか、「たくさんの事を教えてもらったオスカーという役は、ボクの宝物です。」と語る曽世さんの言葉が流れていきました。


トーマの心臓」は、劇団の中でもかなり再演を繰り返している十八番の演目なだけに、”役からの卒業”がセレモニーとしてできるくらいなのですが、世代交替を見送るのはやっぱり寂しいものです。世代交替するにもなかなか若手が成長してこないとスムーズに卒業できないし、あの独特の世界観を理解してハマルことができるのは、ライフたたき上げでないと難しいでしょうし。3,4年後の再演どうなるかなあ・・・。

*1:曽世オスカーの舞台写真

*2:私が学生の頃だって、その高校は市内ナンバー1の偏差値で有名でした。更に早稲田卒、レコード会社の営業マンから役者に転身ですからねえ。