雅・処

好きな俳優・映画・演劇などエンタメ一般やスポーツについて自由に語ります。

進化への抵抗感

今日から”とある”資格取得講座に通い始めました。相変わらず出張が頻繁にあり、仕事でバッタンキューな日々が続く中、週末のスクール通いはかなりの消耗・・・ですが、何かと危機感にも煽られてのこと。将来へ対する漠然たる不安もあと押ししています。ま、そんなことでもなきゃ、根っから「怠け者体質」のワタクシは動こうとはしません。


思えば教習所通いも、短期の演劇稽古もめちゃくちゃしんどかった。毎回決まった時間をとられることというのが、覚悟していても一番キツイのです。持続して何かをやり続けるっていうのは、好きなこと以外には苦痛で、時には好きなことでも苦痛だったりするわけで。自由な休日に、時間を気にせずにボーっとしたり、突発でどこかへ赴いたり、好きに過ごせることが至福・・・な人には、トホホです。


キャリアアップだとか、自分の可能性に燃えて・・・なんてことはあくまで人様(ヒトサマ)のお話です。「オトナになったら、勉強しなくて済むから早くオトナになりたいなあ〜。」と思っていた子供時代の私に”今の自分”の姿が見えていたら、「生き急ぐな!」と言ってやりたいものです。まさか、こんなに長いこと働き続けたり、勉強し続けなきゃいけない人生が待ってると知ったら、とっとと絶望していたかもしれません。


学生の時の受験勉強なら辛くても短期決戦!でわずか数年の辛抱で済みます。しかし、今のこの先行き不透明な時代は、獏たる不安の中で、”神の声”のごとく職場からも社会からもステップアップを強制されている息苦しさがあり、同じことを続けているだけでは意味が無い、と思われがち。


人間って、そんなに劇的に飛躍できるものでしょうか。別に変わらなくたっていいじゃん、進化しなくなって間違いじゃないじゃん、なんて、負け惜しみを言いたくなります。同じことを長年続けることだって偉いことだよ、ていう頑なな信念もありますし。

【進化礼賛の息苦しさ】


身近なところでは、経済成長の真っ只中の子供時代、カセットデッキからウォークマンへ進化したり、ビデオが発売されたり、LPからCDへと飛躍的に音楽のハード面が進化した時、本当にワクワクしたものです。もちろん、慣れ親しんだモノへの愛着もありましたが、今ほど進化の速度は早くありませんでした。何よりそれまでの”不便さ”が改善されていくことの素直な喜びがありました。


しかし、昨今の進化ってその時ほどのありがたみを感じないばかりか、「それ本当に必要なの?」って考えこんじゃうようなものが多い気がします。例えばテレビのデジタル放送。難視聴地域とかを抜きにすればアナログからデジタルの移行に、黒船並み(モノクロからカラーに変わったときのような)の衝撃は感じません。


文字放送や双方向性、3Dへの可能性、綺麗な大画面・・・もちろん、一つ一つは魅力だと思いますが、今でもさほどの不足は感じません。よってチューナーをつけてしばらくアナログテレビを見続けるだろうなあ、と。但し、デジタル放送は、地デジチューナー付のレコーダーがないと録画ができない、という盲点があったため、レコーダーは購入しないといけないようです。やれやれ。


音楽が”ダウンロードするもの”になってからも、数は減ってもCDは買い続けています。iTuneショップでダウンロードすることもたまにはありますが、それは自分にとっては所詮「データ」に過ぎない。流行り歌で手軽にちょこっと聴くだけ、であればそれもいいのですが、やっぱり音楽を聴いてる気にはなりません。とはいえ自分もよく利用するAMAZONなど大手サイトの興隆で、CDショップが消えかけているのは、複雑な思いがします。


一方でiPadKindleキンドル)の上陸で、出版業界も戦々恐々のようです。私自身、PCノートの代わりにiPadは購入したいな、と考えておりますし、厚くて重い書籍を持ち歩くのであれば、電子書籍も有だと。但し、真新しい本の紙の匂いや手触りなんかはちゃんとそれ相応の付加価値があると思うので、本や書店が無くなってしまうのはホントに困ります。


雑誌の廃刊・休刊も寂しい限りです。昔の雑誌を見ると、記事だけじゃなくて世相を反映する事件簿や、広告など時代の息吹も感じて小さなカルチャーブックになることもあるので、侮れない存在です。ネットニュースは賞味期限があって、数年後に消失することもありますが、カタチが残ってる雑誌ならば、何度も見返すことができます。


最近はとんとやらなくなってますが、切り抜きを貼り付けた手作りのスクラップブックだって、見返すとちょっとした情報の宝庫で、感慨深いわけです。ネットから印刷しても同じことはできますが、雑誌や新聞など、紙の質感が違うものを切り貼りしているところが意外と味わい深かったりして。


確かに現代の新しいツールの数々は、小型軽量化でいつでもどこでも使えて便利ですし、世界中の人々との交流もできちゃうスグレものが多いです。そして、それだけにこれまでの古い流通や産業を一掃するほどの革命的な変化も招くわけです。こちらが望もうと望まないとに限らず容赦なく旧来のものを駆逐していって、その結果オリジナルが消えてしまうとしたら、皮肉な本末転倒というわけで・・・。進化のスピードは止められないとしても、それによって時折、「虚しさ」も感じてしまうのはちょうど私が端境期の世代だからでしょうか。


さらに情報の受け手となる私達自身も、新しい機械に踊らされ、新しい機能を覚えて適応していくことを今後も続けないといけないわけで、自分が老人になった頃には、果たしてこの電子化についていけるのか?と恐ろしく感じることもあります。いつからか新製品が発売されても、「すごーい!」と感動する代わりに「また一から覚えなきゃいけないのか・・・。」と溜息混じりになってきてる気もしますし。


スローライフとか、モノを持たないシンプルライフっていうのが実は一番の贅沢な暮らしに思える昨今です。