雅・処

好きな俳優・映画・演劇などエンタメ一般やスポーツについて自由に語ります。

あれから10日・・・東日本大震災

3月11日の地震の日から10日が過ぎました。毎日少しずつ日常が戻ってきているのは感じるのですが、まだまだ避難所で暮らしている方も多いですし、予断を許さぬ原発問題があり、ニュースばかり見てしまいます。緊急地震速報の音で目覚めたり、相変わらず余震も続いて「地震酔い」になったりなかなか気が休まらない状態です。自宅待機が続いていたため、曜日の感覚も狂ってしまってます。


我が家は比較的早くライフラインが復活しましたが、仙台市内は市ガスの復旧のメドが経たず、調理やお風呂などに困っている人も数多くいます。明日は友人にお風呂を貸す予定です。近所の銭湯には沢山の人がつめかけ、整理券をもらえなかった人もいるそうです。整理券を朝に配って夕方にやっと入場できたものの、一人30分限定で湯船にもゆっくりつかれなかった、とか。断水の地域もまだあります。


新幹線も駅がかなりの被害を受けてメドがたたず、せっかく開通で盛り上がっていた「はやぶさ」も出番がありません。徐々に交通網が回復してきてはいるようですが、在来線やバスの運行状況もまだまだ平常とはいえないようです。何より不安なのは、福島原発。仕事で何度も行ったことのある馴染みの町が大変な緊急事態で振り回されているのを見ると切なくなります。福島、とても良い所なのに・・・。


ただ悪いことばかりではありません。震災の後、長らくご無沙汰していた友人知人からも温かいメールや電話を頂いて、思わぬ交流が出来ました。先日は、私にとって「妹」的な存在だった友人から連絡があり、大いに盛り上がりました。実に20年ぶりの会話でした。都内の友人達からも経験談を聞いたのですが、あの日、事務所内で地震を経験したことで似たような恐怖を味わっていたことも知り、共感したり。


全国的にモノが不足している現状はどこも一緒のようです。東日本のみならず、西のほうまで幅広く、そうだとか。不安が後押ししているんでしょうね。食料品は分かるのですが、防災グッズも数多く品切れしており、なんだか日本全国で非常事態な感じ。テレビCMはいつまで「AC」ばかりなのでしょうか。バラエティ番組を愉しむ気分ではありませんが、CMくらいは今まで通りに戻っても良いと思います。

【3月11日のこと】


備忘録として少しだけ震災の日のことを書き記しておきたいと思います。その時、私は会社で仕事中でした。「そろそろ15時だから、なんか飲もうかな。」なんてちょっと頭に浮かんだその時、グラグラっときました。14時46分。3日ほど前にも三陸沖で大きめの地震があり、あの時のゆったりとした、気持ち悪い長い揺れと似ていましたが、すぐに横揺れが激しくなっていきました。


「これはヤバイ!」と感じた頃、社内に居る人達の携帯の緊急地震速報が「ブー、ブー」と一斉に鳴り始め、恐怖心を煽ります。更に避難訓練で聞き覚えのある「ウー」というサイレンの音と避難を指示するメッセージが流れました。恐怖で机の下にもぐったのですが、何度も頭をぶつけるほどの振動が続き、おさまるどころかますます強くなっていきます。3回くらい揺れの”波”があり、3回目が一番強力でした。机の引き出しは、飛び出すわ、書類は床に舞い散るわ、で、もうこの時は悲鳴。


NZ地震のことがよぎり、「フロアの床が抜けたらどうしよう」という恐怖に襲われてました。ようやく大きな揺れがおさまりましたが、2分以上の長きにわたって揺れた衝撃で大きなロッカーが倒れこんでいたり、オフィスの中はめちゃめちゃ状態。非常階段まで逃げるときも余震がやってきて、まっすぐ歩けない感じでした。他の階からも沢山の人がすごいスピードで降りてきて、足を滑らした女性に後ろから足をはらわれてコケたり。


ようやく表に出るとあちこちのビルから出てきた従業員で歩道はいっぱいになり、目の前の道路は信号機が消えて大渋滞。異様な光景でした。「これが30年に一度、99%来ると言われていた宮城県沖地震か?!」と思っていたところ、周りから「震度7」「マグニチュード8」などと漏れ聞こえてきて、それホントなの、と。余震は、5分と間をおかず続いており、その度にビルがユッサユッサと揺れて、窓ガラスが割れて降ってくる、とか倒壊するのではないかという恐怖に襲われます。


沢山の人が自宅に電話をかけて家族の安否確認をしてましたが、すぐに電話が不通となり、私も家族がどうなっているのか分からないまま、自宅へと移動を始めました。そんなときに、まるで私達をあざ笑うかのように大粒の雪が降り出し、気温も下がっていきました。踏んだり蹴ったりです。


携帯のバッテリーが切れそうだったのでコンビニでアダプターを買い、思い出したように水やパンなども買い込みました。停電となって店は真っ暗でしたが、沢山の人が黙々と長い列に並んでいて異様な雰囲気がありました。(幼児がそんな雰囲気におびえたのか泣き出したほど。)レジも止まり、遅れを謝りながら、電卓で必死に計算するコンビニ店員の姿も異常事態を感じさせます。


車に乗ってから、FMから流れてきたのは、津波のニュース。それも「10mの津波を観測」という耳を疑うようなものです。そんな波に襲われたらどんな被害がくるのか全く想像もつきません。実際にあの恐ろしい津波の映像を見られたのは2日経ってからだったので、その時は起きてはいけないものが起きてしまったような、これからどうなるんだろう、という不安感。家族の安否も心配でしたし、友人もきっと心配するだろうなあ、というおぼろげな思いだけでした。

【真っ暗な家の中で・・・】


やっとのことで家に着くと、辺りはもう真っ暗。停電で町中も暗く、ひと気さえないようにひっそりとしていました。こんな日なのに、星だけは綺麗に瞬いてます。玄関でろうそくをつけて待ってる母親の姿に安堵。地盤が強いと言われている地域だったためか、家の中も大きな家具は倒れておらず、買ったばかりの大型テレビだけが転落(涙)したということでした。ただ、重いスピーカーや仏壇は、前後に平行に動いた形跡があり、その威力には驚きました。


その後、地震を恐れて我が家まで逃げてきた叔母も合流し、ろうそくとFMラジオを囲み、長い夜が始まりました。いつ断水になるか分からないので、ひとまず風呂に水をいっぱいに満たしました*1。懐中電灯と電池を集めて最低限の光も確保。一応、緊急非常用袋も用意してはいたのですが、家の中で過ごせる状態でしたので、あまりサバイバルグッズは要らないようでした。


電池はすぐに消耗してしまうので、途中から懐中電灯も節約するようにしていました。こんなことなら「手巻きタイプの懐中電灯&ラジオを買っておくべきだった!」と軽い後悔。幸い25年近く前に購入されたラジオは充分に機能し、大変役に立ちました。ラジオからの情報が無ければ、相当に怖い状態に置かれていたでしょう。レトロな灯油ストーブも活躍しました。灯油もあまり残っていなかったので節約しながら使っていましたが、お湯を沸かしたり簡単な調理にも使えて超便利。


オール電化なんてひとたび停電になれば全く役に立ちません。懐中電灯、ろうそく、FMラジオ、ストーブなど、避難生活に役に立つものは実に「昭和な製品」ばかりでした。携帯電話(au)は、震災当日に名古屋や近畿など離れた地域に住む友人に何度か繋がりましたが、関東以北は全くダメでした。メールも全然ダメ。結局、通信回復まで4,5日かかりました。固定電話も回線から音が鳴るため、かかってはきてるようでしたが電話機自体に電気が必要なので受け取れず。その昔のシンプルな黒電話なら受け取れただろうと思います。


明るい性質の叔母のおかげで、重苦しい災害の日々にも笑いがあったのが救いでした。むしろ電気がついてテレビが見られるようになってから深刻な津波の被害映像や原発問題などで、陰鬱な気分になっていった感じです。厳しい避難所の暮らしが映し出されるたびに、自宅でそれなりに暮らしている自分がなんだか申し訳ないような気分にもなってきて・・・。


ただいろいろな報道を聞くと、今回は世界規模で人々が日本のために募金をし、祈ってくれているのが分かり、不思議に世界と一体感を感じる瞬間がありました。被害地域以外に住む日本の人達の「なんとかしてあげたい」という助け合いの精神も溢れていて、こんなにありがたいと感じたことはありません。この震災が起こる前の殺伐としたニュースに溢れていたことを考えると同じ国とは思えません。神様の試練、などという単純な発想で捉えてはいけないと思いますが、それでも何か今までの私達を省みる機会なのかなあ、と思ったり。


今なお、まだまだ原発は予断は許しませんし、普通の日常が再び戻るまではどれほど時間がかかるか分かりません。少し上向き始めた日本経済を冷やしてしまう危険もあります。水産業のさかんな地域が壊滅的な被害を受けて、再び新鮮な魚介類が流通するようになるのか、人々の生活は保障されるのか、心配は尽きません。でもきっと乗り越えられる日がくる、と信じて前へ進もうと思います。

*1:幸いうちの地域では断水は無かったです。