雅・処

好きな俳優・映画・演劇などエンタメ一般やスポーツについて自由に語ります。

スタジオライフ『ファントム』観劇記(2)

脳裏に焼きついたお芝居

劇団スタジオライフの『ファントム』を見終えてからほぼ1週間が経とうとしております。感想をまとめようと思っていたのですが、あの世界観をどう消化して良いのか自分の中でもまとまらず、困っております。初めて芝居を見た時は、その暗く重く救いようのない陰鬱さに、ちょっと打ちのめされて疲労感に襲われました。


でも良く考えてみれば、この消化不良でモヤモヤした気分は、”スタジオライフにぴったり”という感じもしないではありません。ここ数年、(一部を除いて)やや多かった「毒にも薬にもならない、楽しさに溢れた芝居」が多く、それなりに楽しめて記憶には残りましたが、観劇後の余韻が少なかったのも事実。2000年代前半までのあの濃密な作品群には、もうお目にかかれないのか・・・という思いを引きずって観劇を続けていたからです。


耽美な見せかけの中に沈殿した、鬱屈した思い、満たされない愛への欲求、など感情のどろどろとした側面を描くのがスタジオライフという劇団の持ち味だと思っています。他所の芝居になると、毒々しい芝居はあまりにストレートに提示され、嫌悪感で終わる場合もあるのですが、スタジオライフの場合はデリケートな部分を奥に秘めて、現実に戻ってからもジワジワと神経を蝕んでいくのです。


どっぷりと疲労感に沈み、何かハッキリしない気分・・・感動とか哀しみとか一言で言い表せない・・・を抱えて、精神の一部がなかなか現実世界を拒み続けています。今回の芝居で、そういう”ビョーキ”な状態を久しぶりに体感できて、ちょっと幸せです。屈折してますね(笑)。


舞台や映画が数多くなされた『オペラ座の怪人』。その題材をモチーフにスーザン・ケイという英国の女流作家が書き上げた主人公ファントムの人生の物語。「醜い顔に天使の声」を持って生まれたエリックが辿る数奇な運命を丁寧に掘り下げて物語にしています。今回は、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の美術・映像を担当したマット・キンリー氏とロンドンミュージカル界で活躍する照明のニック・シモンズ氏を起用。


これで駄作だったら、先はないよ(笑)というくらいの顔ぶれのようです。芝居自体より、スタッフ陣にスポットが当たってますし、普段に比べて公演回数が多いのは、製作費の回収が大変だからかしら?なんてライファー友達と語り合ったり。

産み落とし者(幼少期)


若くして未亡人となった美貌の母、マドレーヌ。異形の顔で産まれ、実母にすら満足な愛をもらえなかった幼いエリックが貴族の館で成長してく姿を描いてます。醜い容姿のために仮面をつけられ、館に母と2人きりの生活です。友達は、サシャという犬が一匹だけ。たまに訪れるのは、母の友人マリー・ペローとマンサール神父だけ、という環境で、尋常ではない建築の才能と、天使のような美しい歌声で、大人達を驚かしていくエリック。


自分の醜さゆえに人の目に触れないように軟禁されているエリックは、無邪気な子供として母に甘えたり、子供らしいワガママをぶつけますが、それが素直にわが子を愛せないマドレーヌの苛立ちや怒りをまねきます。やがて彼女は「自分の顔を鏡に映してみなさい!」とエリックの純粋な魂を引き裂き、村の人々からのいわれない差別と暴力が、エリックの心に邪悪さを生み出し、生涯つきまとう孤独感を生み出していきます。


この幼少期のエリックは、本当に痛ましいの一言です。こんな育ち方をしていたら、どんな美しい魂を持った子供でも心を歪ませてしまうでしょう。舞台は19世紀、整形手術の技術もなく、異形で生まれた人々は多かれ少なかれ、その苦しみを背負って生きていかねばなりません。たとえ家族であっても、いや家族だからこそ、子供が差別されれば同じように差別を受けるわけです。


エリックには、芸術部門に天賦の才能もあり、それが人々に恐怖感を抱かせていきます。彼がただの醜い可哀想な子供であれば、これほどまでに不幸を呼ばなかったかもしれません。醜い顔に恐れながらも、その豊かな才能が人々を惹き付けてしまう、だからこそ彼は”怪人”になり得たのでしょう。でも、この時は、ただの”普通の子供”として母の愛情を受けたかったはず。


そんな揺れ動く子ども時代は、「ファントム」の中でもひときわ逃げ場がなく、題材の重さを一番感じさせる内容でした。いやあ、何度見ても本当にきつかった。

【 演ずる役者達の印象】


別名「ナルシズム王子・苦悩の貴公子」、山本芳樹君が演じるエリック、そして天使のような美しい声を持ち、「スタジオライフ的怪優」、林勇さんのエリック。どちらも持てる魅力を全開に見せつけました。(林さんについては、別項で煩悩を破壊されまくりながら、書いてますのでここではアッサリめに。)


普通の少年役であれば、ただ若い役者を起用しがちな幼少編ですが、充分に大人でありながらも、体つきからも信じられないほどの少年性を醸し出すこの二人の起用はピッタリでした。あの膝小僧~ふくらはぎ~足首にかけてのラインなんて、なまめかしくて目が釘付けでした。(一体、何をみているんだ(笑)。)


2人とも持ち前の強すぎる演技力のためにたぶんにクサすぎる(笑)きらいはありますけど、成長と共にマドレーヌを支配していくようになるような”邪悪さ”とか、子供ではない子供ぶりが素敵でした。マスクで顔を隠し、貴族のお坊ちゃんファッションが子供服のモデルでもイケルかも、という出で立ちの美しさと相反する大人の振る舞いで、観客席でノックアウトされていました。


エリックのボーイソプラノ、として何度も印象的に流れるアンドリュー・ロイド・ウェバーの「Pie Jesu(ピエ・イエズ)」。ボーイソプラノの曲としては、定番中の定番です。当初、なんか奇妙な声だな、と思っていたのですが、どうやら主役2人が歌ったものをそれぞれ加工して少年の声にしていたようです。特に林さんの歌声は、「こういうボーイソプラノありそう」と思わせながらも、美しいというより去勢されたカストラートのような気味の悪さを感じ、心がざわつきました。


マドレーヌ役は、若くして望まぬ子供を持ってしまったという苦しみをストレートかつエキセントリックに演じた青木隆敏君と、愛したいのに愛しきれないという母親の慈愛を感じさせる及川健君。かつて、花のようなヒロインぶりで魅了した及川君の、落ち着いた淑女ぶりに目からウロコでした。美貌の役者が歳を重ねていくことはそれなりにリスクも伴いますが、彼の場合は若かりし頃よりも今のほうが全身から滲み出る味わいは深まっているようです。


マドレーヌの二度目の恋の相手・エティエンヌ・バリーは、笠原浩夫さんが演じるとなぜか”ペテン(医)師”に見えてしまうのですが、曽世海司さんが演じると心優しき青年医師に見えるという不思議さ。何度も恋人役を演じただけに及川君とは”相思相愛”ぶりが微笑ましかったです。原作では、奇形に強い興味を抱く医者という一面も強くあるのだとか。


マリー・ベロー役は、関戸博一君と緒方和也君。ここ最近、”女役”陣が抜けた分、関戸君の女役は増えているようですが、だんだん安定して魅力が出てきています。こういう、地に足のついたキャラクターは、ぴったりですね。対する緒方君。稽古で「一人だけ女中がいる。」と倉田さんに厳しいダメ出しをされたそうで、動きはまだちょっと堅いのですが、サッパリした嫌味のなさが新鮮に映りました。


(終わりたいのに終われない・・・つづく)



少年エリックが歌う、挿入歌「Pie Jesu」。アンドリュー・ロイド・ウェッバーの作です。


ファントム〈上〉 (扶桑社ミステリー)

ファントム〈上〉 (扶桑社ミステリー)

ファントム〈下〉 (扶桑社ミステリー)

ファントム〈下〉 (扶桑社ミステリー)

原作です。物販で売り切れておりましたが、なんと通販サイトも悉く品切れ状態(汗)。中古店でやっと見つけました。恐るべし、ライファー。英国やヨーロッパ特有の明るくない作風は、倉田さんの作り出すスタジオライフの世界観によく似合うのかもしれませんね。


miyabi2013.hatenablog.com
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