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雅・処

好きな俳優・映画・演劇などエンタメ一般やスポーツについて自由に語ります。

『日輪の遺産』 大好きな役者が出ていても気が重い映画

封切から1週間が経ちましたが、ようやく堺雅人主演の『日輪の遺産』を見てきました。戦時中の映画だけに、観客もあまり多くなさそう、ということであまり先延ばしにすると上映が打ち切られる危険もあったので、重い腰を上げました。せっかく久しぶりの堺さん!なのに、あまり気乗りがしない映画というのは悲しいものです。


昨秋、TVドラマの『ジョーカー』でようやくめっちゃ好き!と自覚し、一時はかなりハマって過去の作品も探索したりしていましたが、次に公開された映画『武士の家計簿』、スペシャルドラマ『ニセ医者と呼ばれて』は、自分の好みとかけ離れており、その後、ちょっとした熱愛報道で若干醒めたりもして(笑)、ようやく堺ブームが戻りつつあったところで、この映画の公開。


来月放映の『南極大陸』はTBSの視聴率獲得の意向がミエミエの豪華キャストで、その分、役柄の魅力は予測不能だし、『塚原卜伝』で「ま〜た地味な時代劇かい」、とテンション低めな中、もう期待は、10月の『ツレがうつになりまして』しかないのか!!という、やや”崖っぷち気分”。年齢的にも落ち着いた?作品が続くのは分かりますが、なんか堺雅人という稀有な役者(と個人的に思ってる)の本質を生かしきれない作品群ばかり・・・。


もともと今回の『日輪』は、昨年から雑誌で今夏公開が報じられておりましたので、驚きはありませんでした。ただし、夏に戦争モノ(隠れた定番)で、堺さんの丸坊主に軍服姿(→あのカーキ色の日本の軍服が視覚的に好きになれず)には眉間に皺で「う〜む」とうなる感じだったし、「まあ完全に右寄りの戦闘映画でなかっただけでも救いかな。」となんとか自分を慰めるような状態。

堺雅人ファン的視点】


それにしても、こんな重い足取りで映画を見たのはなかなかないかも。好きな役者が主役で出演していても楽しみにできない、のは実に悲しい。すでに先月、堺さんの映画インタビューも映画雑誌でちょこちょこ立ち読み(笑)していたのですが、映画の内容を事前に知りたくないので、できるだけ当たり障りのないところを読んでいました。それでも「(自分の演じる)真柴が煮え切らない男、と思われるかも。」というくだりで大体、「ああ、そういう”答え”をボカした感じの映画なんだな。」ということは察しがつきました。


以下、ネタばれ(ストーリーについては、あまり言及してませんが)です。学徒動員の少女達が「悲劇のヒロイン」となると、あらすじはほぼ予測がつきます。大筋は、その予測をほとんど裏切らない、やっぱりねえ、な流れで展開していきました。この映画を見て感じたのは、全体的に描写がヌルイこと。


敗戦の色濃くなっていく日本、という重い空気感や悲壮感があまり強く漂ってません。作り手としては恐らく、そういう暗い戦争映画にしたくなかったのだと思います。ついでに言うと、登場人物も少なく、制作費もかなり限られているような節が漂っており、予想以上に小粒な手作り感ある作品でした。


堺さんは、写真で見る限りは「こんな軍人いるの?」というくらいヤワそうに見えたのですが(笑)、どうしてどうして背筋をピンと張って、通りの良い声で簡潔に命令する様子はなんとも凛々しい少佐っぷりで見直しました。惚れ直した、って感じでしょうか(笑)。まあ、確かにどれだけ昔であっても、軍人にだっていろんなタイプがいたのでしょうから、表面的には穏やかで優男に見えても、内面から滲み出るような凛々しさを見せる方も多くいたのでしょう。


口数が少なくても、佇まいだけでも、ちゃんと演じる人物に息を吹き込むのが堺さんの演技力。サスガです。迷いながら、唇を噛みしめながら任務遂行の励む、真柴少佐を人間臭くて憎めない、とてもカッコイイ、と思わせる人に仕上げてくれてました。着物も似合うけど、軍服がこれほど似合うとは・・・嬉しい誤算でした。普段からの丁寧な物腰で言葉遣いもシッカリしてる方だけに、そこに職務に徹する役となると、ピシッと一本芯が通ってきて、まあ本当に素敵でねえの!って(なぜか方言)。


馴染みの少ない”軍人”を演じることに若干悩みの痕も感じられましたが、こういう人もいたのかも、と思わせればそれなりに成功でしょう。しかし、隠密の命令に抗えない軍人の揺れ動く想いを滲み出しながらも、映画の中ではこの真柴という人間の真意や人物背景が見えてこないために、結局”運命に翻弄された悲劇の人”の域を出ていないな、と思わされ、それが映画に深みを感じさせないのかもしれません。終戦後の真柴の行動や生活もハッキリとは語られていません。


映画は、生き残った少女”久枝”の視点から描かれていましたが、私としては、この映画は真柴を追っていった方がもっと面白くなったはず、という感じでした。もちろん、堺さん見たさ、というのもあります(笑)が、任務を遂行する真柴・小泉・望月の3名と、女子生徒を引率していた野口先生、という4人の男達それぞれの葛藤を2時間で描くのはちと厳しすぎるかも・・・。

【出演者達も好演】


軍需工場で働かされている13〜14歳の女子学生の女の子達は、そういう戦時下で物資も不足していた非常事態の日本にあっても、明るい笑顔と希望を絶やさない純粋さを持って、懸命に生きています。特に級長であり、重要な役どころである久枝役の森迫永依ちゃんは、芦田愛菜ちゃんのひとつ前の世代の名子役で(私もとても好きな子役だったのですが)、演技が的確で、見る人を引き込む切羽詰ったような悲しい表情が子供時代と変わらず素晴らしかったことに感心しました。


のだめカンタービレ』の黒木役でグーンと高感度のアップした福士誠治君が出演していました。堺さんが「ファンになってしまいました。まっすぐないいお芝居をされる方で素敵だな、と思いました。」と褒めておりましたし、現場では軽く嫉妬を覚えたような、ことを言ってて嬉しかったですね。福士君の生真面目な演技力は私も前から気持ちよく思っていたところでした。できもしないことを無理してできるように見せるのではなく、できるところから着実に階段を歩んでいくような潔さが今回も漂ってました。


中村獅童さんも、こういう役をやらせると、もうその時代に生きていた、と思わせるような凄みがあって、やっぱ貴重なバイプレーヤーだと思いますし、ユースケ・サンタマリアさんも超個性派。「踊る大捜査線」でブレークするまでは、ただ”声のデカイお兄さん”(失礼)、という印象しかなかったのに、まさかここまで味のある役者になるとは・・・脱帽です。なんなんでしょうね、どんな役でも彼が喋り始めると吸い込まれてしまう。柔らかいトーンで話す台詞なのに、強力に引き込む魔力を持ってます。


わずかなシーンですが、最初に真柴に向かって激昂していた若い将校の顔に見覚えが・・・。なんと'80年代の名子役、伊崎充則君では!?イガグリ頭がトレードマークで長渕剛とTVドラマで共演した子供時代、B級傑作映画『木村家の人々』でも目を引いた彼の特徴がそのまま残っていました。今は、苗字が「伊嵜」に変わっているのですね。すっかり俳優業は引退していたと思い込んでいたので、嬉しい驚きでした。


映画の中で出てきた謎の青年将校も気になりました。演じている方ではなくて、制服が(笑)。堺さん演じる真柴が「旧式の軍服」と言っていたことで、「えっ!日本軍の制服って年代ごとに変わっていた?そういえば226事件とか、そういうので見かけたマント着用だわ。」なんて一瞬、すごく興味を引かれました。将校マントなるものが、何か”特殊な意味合い”を持つものだ、ということも初めて知りました。


「憂国の士」みたいな、駆り立てられている人々を象徴しているのでしょうか。まあ、その辺は大して知りたくもないんですが(おいおい)、衣装的には結構ソソラレました。意識したことはあまりないけれど、結構自分は軍服フェチかもしれない。まあ、制服フェチの気はありましたから、さもありなん、なんですけど。軍服がカーキ色でなければ尚良いのですが、しかしまたカーキ色だからこそ独特の禁忌性もあるような・・・て、アブナイかしらん?。

【理不尽さも辛抱する国民性が怖い】


物語の中で、一番引っかかりを覚えたところは、「極秘任務を隠匿するために少女達を毒殺しろ」と命ぜられた真柴が、命令第一の軍記に逆らえず遂行しようと一旦考えた後に、小泉に説得され、考えを変えたところ。そして、その事実を悟った少女達が何も言わず、毒薬を飲んでしまうくだり。こういうことは形は違えど、当時いろいろなところであったことなのかもしれません。


映画の中では、真柴を冷血非道な加害者にはせずに、やや”曖昧な立場”で救いを与えてますが、人間の感情として許されないこと、理不尽なことと分かっていても、それが自分の命よりも守らねばならない重要な”何か”(←この場合、たとえ形がないものであっても良いのです)と引き換えであったら許される、という不思議な哲学に支配されているのが我が日本人なのじゃないかな、と思って気分が暗くなってしまうのです。


それはサムライの時代にも、戦時中でも、原発事故でも、脈々と受け継がれている日本人の「負のDNA」を強く感じさせます。だから、何よりも大事な「人の命」が軽く踏みにじられ、間違った情報でも容易に操られ、自分の判断だけでは動けなくされてしまう。報道やプロバガンダ*1で一つの方向へと向けられると、恐ろしい勢いで一つの方向へ突入してしまうのが日本人の怖さ、というのはよく言われることですし。


この映画では、現代の描写も結構あって、それが登場人物それぞれの「贖罪」や「これからの日本、未来への静かな希望」を示している構成になっていたりもするのですが、反面、突き詰めて描き切れない迷いや曖昧さを感じました。多分、日本人が太平洋戦争を舞台にした映画を作るとどうしても、「本当は何が言いたいのか分からない」「ハッキリ言いたいけど言えない」逃げの姿勢の映画が大量生産されてしまうのでしょう。


作り手は反戦映画のつもりで、「当時のことを現代の若者へ伝えねばならない。」という一見尊いように見えるけど、その実、ヌルイ使命に駆られてこういう映画を作るのでしょうが、私には当時を生きていた人々へのノスタルジアにしかならないような気がしてなりません。日本人にはたとえ100年後経っても本当の反戦映画なんて作れない、それは都合の悪いものには目を背けていることがあまりにも多すぎるから、と思ってしまうのです。


徹底的にナチスの悪行を暴き、当時の国民の罪までも人間の業として描ききるドイツ映画の覚悟なんかを、日本の商業映画では持ち合わせられるはずがありません。せいぜい、「この時代の人々は、制約の多い日常の中でも精一杯生きていた。何か現代の私達にも考えなければならないことはあるのではないか。」と読書感想文の一題になる程度のことしか伝えられないのです。そんなことを60年以上も経って、あいも変わらずに唱えていたって、説教にもなりゃしない!と怒りすら覚えてしまうほど。


津波や地震なんかの天災とは違って、戦争も原発事故もほとんどが人災。「起きてしまったから仕方がない」みたいな運命論者的思考ではなくて、もっと多角的・冷静に原因分析して対処していかないと、何も進展がないし、また日本人は大きな失敗を繰り返しても、一握りの人に責任を押し付けただけで、「運が悪かった。」「これも運命だから諦めるしかない。」と言って忘れて逃げるだけでしょう。


堺さんがはからずもインタビューで答えていた「まるまる”なかったこと”になってるような時代」というのが暗示しているように、まるで語ってはいけない”パンドラの箱”のようなこの時代を、オブラートに包んだような表現と”誰も加害者にしたくない”曖昧な優しさで描き出すところに、責任逃れの姿勢を感じて苛立ちます。この手の映画がヒットしないのは、そういうご都合主義の逃げの姿勢が見てる観客に伝わってくるからかもしれません。一筋泣いて終わり、なんて空しい。


ああ、だから戦時中を半端に描いた日本映画を見ると、むかっ腹がたってしまって嫌なんです(苦笑)。考えたくないことをいろいろと考えてしまうから。堺さん、たとえカッコ良くても、あまりこのテの映画はやらないで下さいね。疲れますわ、ホント。


日輪の遺産

日輪の遺産


映画はともかく、原作のほうは、もしかしたらもっと良いのかもしれませんね。

*1:特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する宣伝行為