雅・処

好きなアイドル・俳優・映画・演劇などエンタメ一般やスポーツについて自由に語ります。

「END OF THE YEAR FESTIVAL2013」レポ(5)

第1位:トーマの心臓

輝く作品賞第一位は、『トーマの心臓』です。もう鉄板ですね(笑)。ファンや劇団員の誰もが1位を疑わなかった、と想像されます。劇団スタジオライフ結成からの10年間は、倉田さんオリジナル作品を上演していましたが、「どうして男の子いっぱいの劇団なのに、ギムナジウム物をやらないの?」という知人のアドバイスを受けたことで舞台化に動き出しました。


それが予想を超えた成功を招き、「劇団スタジオライフの方向性を決定づけた作品になりました。」「それまでのファンはサーッといなくなり(爆笑)、新しく萩尾先生のファンの方が見に来て下さって・・・。」と正直すぎる説明が倉田さんからあり、芝居の立ち上げ当時をリアル体験している藤原さんへとバトンタッチ。


「オーデションで入った若手劇団員*1が一気にやってきて、新しい風が入ってきたような感じでした。彼らが”失礼します!”って(扉を開けて)事務所に入ってきて、また”失礼しました”と出ていく様子がまるで学校の職員室みたいだで、シュロッターベッツと重なりましたね。」


ここで岩崎大ちゃん登場。トーマでは、沢山の役を演じている、ということで、ユーリ母、トーマ母、サイフリート、そしてようやくオスカーに*2、と挙げておりました。もともと『訪問者』のチビ(デカ)オスカー役があり、10年経ってから「トーマ」のオスカーに繋がったという事実には、倉田さんにも格別な思いがあったようです。


月日を重ねてきたことで、以前よりも世代間の広がり(年齢差)が大きくなり、役者の層も厚くなった、ゆえに作品の選択肢も広がり、いろんなことに挑戦できるようになってきたそうです。確かに年代の幅は驚くほど広がりましたね。


一方、大ちゃん自身は、「最初に『訪問者』の配役を聞いた時、オレ、固まりましたからね。”やらせていただきます!”とは言ったものの、”うわあ、どうしよう・・・”(汗)、って思って。」そんなピュアすぎる時代があったのですか。ちなみにこの舞台、見ておりましたが、やっぱり大ちゃんは大ちゃんなんですよね。今より幾分、荒削りではありましたが、ステージの真ん中に立っても度胸はありました。

【個性的すぎるJr.5のエピソード】


更に、青木君のイグー話がありました。初舞台が2000年の連鎖公演のトーマで、5人組のイグー役をふられた青木君は、その後、3度の再演でいずれもイグーを演じ続けました。そのうち、「永遠のイグー宣言をするか?なんて考えたり。でも天然ボケの男の子なのに、だんだんシッカリ者になってきて、そのうち班長のヘルベルトを逆転するんじゃないか、って感じになってて。」


「ずっとイグーだけを演じていたかったか。」とダメ押しをされて、一瞬言葉につまり、「やっぱり厳しくなってきて、そのうち他の役もまわってくるだろうなあ。」と感じていたと本音をもらしてました。藤原さんの説明によると、公演パンフレットで、青木君が”イグーへの熱い思い”を書き連ねていた時があり、それを読んだ萩尾先生から「この方に会ってみたい。」という申し出があったので、青木君を紹介したそうです。


青木君自身は、パンフレットに書いた言葉については忘れているようでしたが、まさに真の愛は伝わる、ということですよね。「初めての舞台で、初めて自分に与えられた役だから(愛するのは当然)。」と語っていましたが、そういうピュアさが素敵です。


そんな感動的な話に続き、奔放すぎて問題児揃いだった、Jr.5のエピソードも暴露されてました。トーマを上演期間中に、「シュロッターベッツの生徒が劇場近くのコンビニの前でウ○コ座りをしている。」というお叱りの電話が入ったそうです。そりゃあ、もっともだ。そんな姿見たら、私だって電話の一つ二つしたくなるってもんですわ。


昔はヤンチャで手を焼かせていた、と劇団内でも悪評判だったJr.5。今は・・・まあ、とくだん立派にはなってないかもしれませんが(おいおい)、そのバラバラな個性を生かして、それぞれに成長しているのが面白いところです。

【次回作「少年十字軍」に向けて】


最後に次回作へのアプローチがありました。原作は、『死の泉』の著者でもある皆川博子先生の力作長編小説で最近発売されました*3。80歳を過ぎての渾身の一作ということで、倉田さんはそんな皆川先生の情熱と熱き想いを大切にして、舞台化していきたいと言っておりました。


倉田さんが初めて皆川先生と会った時の忘れられない思い出の一コマ。皆川先生に作成した企画書を見てもらい、『死の泉』の上演許可は一応はもらえたものの、「歌のシーンはどうするか」「作品の長さはどうするのか」と聞かれ、まだ懐疑的な様子が感じられたそうです。


当時たまたま『トーマの心臓』を上演していたので、夜の公演に皆川先生をご招待、すると公演が終わると倉田さんに駆け寄り、しっかりと手を握りしめて、「全てあなたに任せます!」と言ってくれた、とか。その特別な夜を思い出して、倉田さんの目からはとめどない涙が溢れていました。(つられて、もらい泣き。)


やっぱり心の奥底から突き動かされた情熱というのは、ちゃんと伝わるものですね。作り手やスタッフ、役者全てに良き作品を届けたい、というひたむきで真剣な思いがあるからこそ、あらゆる不可能を可能にしてきたのがスタジオライフ、と改めて実感しました。

【石飛さんの涙の朗読で思い出す '03大阪・卒業公演】


最後は、”シュロッターベッツの卒業生”である石飛さんが、「トーマの心臓」の冒頭の詩の朗読をしてくれました。あまりにも大きすぎる思いが胸に迫ってくるのか、言葉を進めるのも辛そうなほど一言一言噛みしめ、涙を流しながら読み上げてくれました。その姿を見て私の脳裏をよぎったのは、2003年の大阪公演。


石飛レトヴィ、笠原オスカー、山崎ユーリが揃っての卒業となる記念の公演でした。セットの2階部分に立ち、及川エーリクに聞かせるように、トーマの詩を朗読する場面でのこと。初演から数えきれないほど読み上げていた詩を語るのは、この日が本当に最後の最後。石飛さんの号泣しながらの朗読に、客席で初めて嗚咽してしまったことを思い出しました。


スポットライトを浴びて、みるみる怒涛の涙が零れ落ちていく石飛さん。そして台詞を絞り出す時の、あの苦痛に満ちた表情だけは、今でも忘れることができません。(多分、一生忘れることがないでしょう。)それは、まさに魂が震えるような瞬間でした。芝居の内容で大感動し、泣いたことは何度もありますが、”一つの役の終焉”にあれほど泣かされたことはありません。


スタジオライフが存在する限り永遠に上演していくであろう代表作「トーマの心臓」で、初演の初日からずっと同じ役を演じてきた1人の役者が、明日からは二度と舞台でこの役を演じ、この台詞(詩)を語ることはないのだ、という重すぎる事実に、思い切り打ちのめされた瞬間でもありました。


そして大事にするがゆえに自分の寂しさや悲しみを軽々しくは語らず、公演中もなるべく乱れずに淡々とやりこなそうとしていた石飛さんの感情のダムが決壊した瞬間でもありました。石飛さんにとっても、レトヴィ役との永遠のお別れであり、”少年”役から大人役への本格的な移行の瞬間でもあったでしょう。


恐らく観客には絶対分からないような想いもてんこ盛りだったはず。この時の大阪公演で、初めて「トーマ」を見に行ったお客さんは、舞台裏でもう一つの劇(卒業の儀式)が進行されていることも知らず、役者達の熱量に戸惑ったかもしれません。でも、ファンは、充分に理解ができたと思います。


慣れない世界観の物語を作っていく段階の苦労や、成功を収めた時の感動、仲間との魂のぶつかり合いや、数多くのファンからの温かい励まし、長い年月に重ねた数えきれない思い出が溢れて止まらなくて、石飛さんの表情には「二度と戻れないから、この瞬間が永遠に終わらないで欲しい・・・。」そんな悲壮感や悶絶の苦しみすら混じっていたように見えました。


(話は、イベントに戻って)朗読が終わり、暗転。再度、石飛さんが登場し、「十二夜」のテーマソングを歌う劇団員達。最後の挨拶では、普段はクールで素の表情を見せない芳樹君がとめどない涙を流していました。締めの言葉が流れてる間も、涙が頬に伝い、それを隠すことなく壇上に佇む芳樹君。恐らく石飛さんの涙の朗読によって、芳樹君も感情のスイッチが入り、当時の色々な思い出が甦ったのでしょう。


聞くところによると、前日のイベントでは、山崎ユーリが詩を朗読し、やはりファンの涙の大洪水が起こっていたそうです。私の想像に過ぎませんが、やはり”トーマ初演組の想い”というのは特別なのだと思います。絶対的にその後に入団した、他の劇団員とは比重が違うでしょう。


劇団として明日をも知れない本当に苦しい時期もあったはずですし、試行錯誤を繰り返しても、出口が見つからない瞬間も何度もあったと思います。そんな過酷な状況での初めての大当たりが「トーマの心臓」で、それは劇団を救った”一筋の光”だったのではないかな、と。


「トーマ」の中にある、いくつもの繊細で美しい台詞の一つ一つが、時には役者達をも浄化したり慰めたり、感動を呼び起こしたり、ということもあったのではないか、と推察します。その愛のおこぼれが、我々観客にも降り注いでいます。


今までこの作品から、奇跡のように美しい瞬間や素晴らしい思い出をいっぱい貰ってきました。「イケメン揃いの役者達だから、人気の舞台」という外部からの大いなる誤解(笑)はさておき、役者達が本当に役と一体化したときの恍惚の表情こそが奇跡的な美に溢れているのは違いないと思います。

【そしてこれから・・・】


そういえば倉田さんによると、最近は萩尾先生の原作コミックがどんどん英訳をされており、「トーマの心臓」も海外の人に読まれている、という話をしておりました。「11人いる!」なんかは、もっと前から英訳されていましたが、「トーマ」はだいぶ遅れての刊行ということです。


確かに帰ってきてからネットで検索してみると、ハードカバーの美しい本が見つかりました。はてさて外国の方は、どこまであの精神世界を分かってくれるのか?という謎はありますが評判は上々のようです。少女漫画のエポックメーキングとなった作品という紹介もあるようです。


来年か再来年、そろそろ「トーマ」の再演が予定されているはずですが、倉田さんや歴代トーマ役者達ほどの熱い想いが、どれだけ若手に受け継がれていくのだろうか、だんだん薄まってダメになってしまわないか、というのが、目下、最大の心配事です。個人的には、”仲原イヤー”だった2013年ですが、そろそろ仲原君のユーリ役が見たいな、なんて。


お土産に過去映像を集めたDVDをお気に入りの宇佐見君から手渡しで貰いました。懐かしい映像がちょこちょこと入っているのですが、「あ~あ、もっと見たい!」と悶えてしまいました。一番印象的だったのは、若かりし頃の芳樹君の映像で、入団してまもない頃の映像ですが、今とあまり遜色がなく安定した演技をしていたこと。


やっぱり最初からある程度出来て上がってる人は出来ているんだなあ・・・と感心してしまいました。劇団オーディションと言っても、今ほど派手に広告をうっていたわけではないからこそ、多種多様な個性的な若者が入団してきたんだろうなあ、とずっと感じてはいたのですが、昨今は大人数が入団してきても短い間に退団してしまう劇団員が多いので、いつからか変わってきてしまったのかなあ、と寂しく思いますね。


ふう、ようやくの最終回です。たった1度のイベントをこんなに長くそれなりの分量で連載したのは初めてです。それだけ満足が大きかったのかもしれませんね。長らく忘れていた、劇団への愛が復活したイベントとなりました。


「END OF THE YEAR FESTIVAL2013」レポ(1) - 雅・処
「END OF THE YEAR FESTIVAL2013」レポ(2) - 雅・処
「END OF THE YEAR FESTIVAL2013」レポ(3) - 雅・処
「END OF THE YEAR FESTIVAL2013」レポ(4) - 雅・処

*1:初オーディションで入団したJr.1世代の劇団員のこと。元からいたシニアの先輩達にとって彼らの入団は一つの事件だったようで、今だにJr.1は特別、とよく言ってます。

*2:聞きながら、そうそう、そうだった、これ全部見てる!と思い出してましたね。

*3:原作は舞台を見てから読みたいと思っています。