雅・処

好きな俳優・映画・演劇などエンタメ一般やスポーツについて自由に語ります。

’14年末イベント「29年最後の日 with you」レポ(2)

入団順に繋がる役者エピソード

ここからは、劇団員達を入団時期に分けて、新人の頃のエピソードや倉田さんの印象などを中心に進んでいきました。相変わらず出るわ、出るわ、の毒舌炸裂!(笑)。中には集中砲火をくらって茫然としたり、「もういや」と嘆き節、舞台にいたたまれなくなる人も出てきます。


合間に思い出のビデオ上映があり、若かりし頃の役者達が映ってますが、ホームビデオの映像が荒いためか、役者の変化が激しすぎるのか(笑)、結構判別がつきにくかったです。

 シニアが加入するまで


トップバッターは藤原さん。その演技を見た倉田さん、「こんな演技をする役者がいるんだ」と大変な驚きだったようです。アドリブで擬音を多用する表現に真似していたのですが、それを聞いて、私自身も現在のロマンスグレイ&ダンディな紳士ぶりではなく、一番初めの芝居*1で見た、藤原さんのお調子者全開な演技を思い出しておりました。


今でもそういう時代の片鱗を感じさせる一瞬はありますが、劇団代表になって結構背負うものが大きくなってきたのかな?


帰りの会場整理の際にも曽世さんが解説していましたが、藤原さんは他の舞台の関係者に「ちょっと来てくれないか!」の声に期待に胸弾ませて行ったものの、役者として求められたのではなく、高い会場整理能力を見込まれてだった、というオチを語ってましたね。


それから、甲斐さんに対する思い出話は強烈で面白かったです。かつて「メンズノンノ」のモデルも務めたことがあり、コーラのCMにも出演していた、というほどのイケメンだったそう(今もカッコイイですけど)。


ある日のこと、繁華街で”ジャニーズ”と間違われて、人だかりができ10分くらい動けなくなった、という逸話もあり。傍にいた藤原さんが「違うんです!」っていくら否定しても全然諦めてくれなかったのだとか。そんな甲斐さんですが、月日の流れと共に変化が出てきました。


次々回作でもある「アドルフに告ぐ」初演のヒットラー役では、毎日のように職務質問に捕まって、藤原さんに「お願いだから一緒に帰って!」と懇願した話などが聞けました。


山崎さんは、ライフ入団前に文学座の研究生だった、というのはよく知られた話ですが、文学座では1年間活動がないと「ご卒業おめでとうございます。」という1枚の紙切れを渡されて、追い出されるという慣習があるそうです。山崎さん、「緒方も貰ってた。」とバラしてくれました(笑)。「その紙で紙飛行機折って飛ばしたんだ。」なんて。


甲斐さんと山崎さんには、若かりしダメダメな時代を思い出したのか、倉田さんも遠慮なく厳しい発言をされており、2人共「怖~」と怯えてましたが、具体的なコメントは忘れてしまいました。


石飛さんは、ライフの芝居を見て「入団したいんですが・・・」と河内主宰に話したところ、ちょうど劇団が1年間休む時期だったということで、先に旅回り(学校巡業)に誘われたそうです。その演目で泉鏡花の作品を演じることになり、それも前日に渡されたらしく、すごい台詞の量に「嘘でしょ!」。


膨大な台詞を短期間で覚えて出たそうなんですが、「もう無我夢中で覚えたの!」と当時を思い出して顔が強張っておりました。また「フロムA」で集まってきた演劇経験のない人ばかりの中、倉田さんが猛烈な勢いで演出をしていって、ものの5日くらいで完成したことに「すごいっ!」と唖然とした、という感想も。


石飛さんに対しては、ほとんどキツイ一言がない倉田さん。石飛さんが上手く話を切り上げたのか、あるいはもう気心知りすぎた者同士、身内の優しさにも似た状態なのかしら?なんて思いながら聞きました。


演劇学校出身の石飛さんの横で「フロムAを見て入りました!」(笑)と元気よく挨拶したのが笠原さん。「会社辞めて、(劇団に)入りました。」といういきさつに、「当時は本当に細かった。」と肉付きの違いや、「それまで堅い仕事していたのよね。」という倉田さんの弁に思わず苦笑いを浮かべてました。


確か笠原さん、宮城の工業高校*2出で原発関連企業で働いていた、なんてことを昔インタビューで読んだり、過去のイベントでご本人から聞いた気がしますね。安定した企業から脱サラした変わり種の一人。まあ、昨今の状況を考えれば、それも悪い選択でもなかったような・・・。


若手時代、芝居で台詞を話すタイミングに間に合わなくなりそうになり、3mくらいの高さの舞台セットから飛び降りて、皆がビックリした、というエピソードも披露。かなり高かったけど、幸い怪我もなかったそうで。「急がなきゃ!」と焦ったのと、”あまりの倉田さん怖さ”に突発でそんな行動を起こした、ということでした。

 Jr.1 誕生


芳樹君は、「竹とんぼ」でライフメンバーに合流。移動車の運転手を嫌がらずにやってくれて、石飛さん「イイ子だなあ~」と思ったそうです。「実家が美容院だったので、髪を切ってくれるのはお父さんだった。よそで髪を切るなんてことは考えもしなかったんだ。」という話と、最近は老齢の役も増えてきて自分でも「年取ったなあ」と感じることがある、という話を断片的に覚えてます。「なんのなんの、アナタは万年青年ですって。」と内心つぶやく私。


そして横でちょこんと立っている及川氏。俳優養成所に通っていた頃に、たまたまウエストエンドに出演する機会があって、そこで倉田さんに目をつけられたのが出会い。「この子、自分の魅力を全く分かってないわ。」と呆れたのが第一印象。「彼はせっかく良い素質を思ってるのに自分の個性を分かってなかったの。」とヤキモキしていたことを述べてました。


そのすぐ後に「トーマの心臓」のオーデションが開催されて、100人くらい入団志望者が集まった中、無事合格し、正式に入団。ここから、スタジオライフ開催オーデションの第一期生、としての話になり、Jr.1深山君が登壇。ちなみに河内主宰が、劇団内に正しい序列というか縦社会を作る目的で、”シニア”と”ジュニア”という構成にしたそうです。


そして現れるやいなや、深山君が集中砲火を浴びてました。オーデションでの彼の風貌(腰パンをはくようなルーズさ)や受け答えに、倉田さん以外は全員、落選だろうと予想していたそうです。周りの意見に反して、「この子、イイもの持ってるわ。」と感じた倉田さんは、合格させるという強い意思があったようですね。


河内さんが藤原さんに詰め寄り、「お前、アイツの良さ分かるか!?倉田は、イイって言うんだけど、俺には全然分からない!」と息巻いていた、という事実が暴露されると場内大笑い。しかし、当の深山君本人は、「今更そんなこと云われてもよ~」と困った表情を浮かべていて、気の毒なくらいでした。


入団当時の深山君って、だらしない若者代表、みたいにもうずっと長いこと、ネタにされてきてました。ご両親も劇団に挨拶に来られた時に、「息子をこんなに立派にしていただいてありがとうございました。」とお礼を言っていった、なんて話を聞いたことがありますし、相当なモンだったんでしょうね。


でも、倉田さんの見立ては間違っていなかった。個性派揃いで、「仲が悪いジュニ1」と揶揄されて久しい彼らですが、長きにわたって劇団を引っ張っていくような実力派が揃ってますし、微妙な距離感で何気に刺激し合ってるのも分かります。


Jr.1は出戻り組も多いのが特徴。楢原さんや大村さんも近年、戻ってきてくれたことを倉田さんも心から喜んでいました。劇団にとっての初オーデションの思い出深い彼らは、倉田さんのみならず、先輩達からも絶大な”愛情”を受けているのですが、当人達はどこ吹く風で我関せず、クールっぷりがまあニクい(笑)ところですね。

 フレッシュ~そしてJr.2に


だいぶ前から一人だけでありながら、同期を蹴散らして生き延びた、と噂の曽世さんがいよいよ登場。「今日は静かだね。」と藤原さんに揶揄されながらも、若干照れながら曽世さん登場。レコード会社の営業マンだった曽世さんは、会社の倒産がきっかけでスタジオライフに入団した変わり種。


以前に聞いた話だと、イベントなどで舞台裏からタレントを見ているうちに自分も”そっちの世界”を見てみたくなった、というのと、スタジオライフのオーデションがその時、一番時期的に早かったから、というのが受けた動機と聞いたことがあります。そして、男優のみの劇団であることは、オーデション後に初めて知った、というおまけも。


「居酒屋で長々と身の上話を聞かされたんだけど、大した話じゃなかった。」という倉田さんの談に、さすがの曽世さんも撃沈。イベント終了後も、客出し整理をしながら、曽世さんは、倉田さんにすごく膨らまして話していたことを反省されてましたね。


うーん、他に曽世さんへのツッコミというか思い出話はあまり記憶にないですね、新人の頃の芝居の印象とか聞きたかったなあ。時間が押していたのか、とても短かった気がします。ジュニアより更に下の期が出来たことで、新人イコール”フレッシュ”という新たなくくりが生まれていきました。


(つづく)


miyabi2013.hatenablog.com
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*1:黒いチューリップ

*2:工専だったかも