雅・処

好きな俳優・映画・演劇などエンタメ一般やスポーツについて自由に語ります。

第1回復興バスツアー(曽世&笠原)

ただただおもてなしに感服

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7月3日に開催された曽世さんと笠原さんの東日本大震災復興バスツアー、1ヶ月以上も前のこともあり、今更な気がすごくするのですが、備忘録として簡単に書いておこうかと。今回のツアー終了後、あまりに充実感に満たされてしまって、書き留める気がなかなかおきなかったというイベントでした。


全日程、文字通り全身全霊で、ファンへ”おもてなし”の心で応対して、添乗員顔負けのサービスをしてくれる曽世さんには脱帽。さらに、その横でマイペースで飄々とツアーを楽しんでいる笠原さんには、ホッコリさせられました。同郷の先輩・後輩コンビはさすがに最強でした。


バスガイドさながらにマイクを握りながら、ほとんど休みなく話しまくる曽世さんのパワーも凄かったですね。バス会社関係者や運転手の方にも温かい言葉をかけて、楽しませるサービス精神。その奥底には、5年間ずっと震災のことが頭から離れなかった、という地元民ならではの感情があったようです。


いつか・・・と思いながら5年が経ってしまい、「今更、復興の名のもとに何ができるのか。やっていいのか。」と曽世さんもかなり悩んでいたそうです。ただ、知人からの「思い立った時が潮時」という言葉に背中を押されたそうで、ようやくこの企画を実現したのだ、とか。笠原さんも「なんかやる時は、誘って。」と言われていたものの、本当に二つ返事で受けてくれて嬉しかったようです。


バスツアー出発5分前に到着する新幹線に乗って現れた笠原さん、本当にどこへ行ってもマイペース。慌てる姿はなく、時折、自然発生的に始まるプチ記念撮影会にも、嫌な顔一つせず、付き合ってくれてました。対する曽世さんは、お買い物や見どころなどを事細かに調べて、どこへ行ってもマメに大活躍。


ただその合間にも、この2人は自分自身も楽しんで買い物したり、美味しい「うに丼」を食べたり。無理なく無駄なく楽しそうに過ごしていて、そんな”のどかなムード”だったので、緊張感もないバスツアーを楽しみました。

◆耳にしたエピソードの一部
・ルーツの話
 笠原さんの大崎市(旧:古川市)だった。今でも農家をやってるので、お米を送ってきてくれる。「けど、この人そんな美味しいお米食べないで、俺にくれるんだよ。」と曽世さん談。実家から送られてきた古米を曽世さんへあげていた、というお話も。


・曽世さんは、仙台の北、山のほうの出身なので、海側には縁があまりなかったので、今回訪れた、閖上(ゆりあげ)にも泳ぎに来たくらいの思い出しかなかったそうです。


・仙台あるある話。
仙台土産の笹かまは、おかずとして食卓に出る。牛タンが仙台名物という話を知らずに、東京の友人に聞いて驚く。→ 全く同じ体験あり。

また、地元では知らぬ人がいないという、八木山ベニーランドのテーマソングを歌う曽世さん。途中バスで過ぎた、楽天のコボスタ宮城に最近、敷設された観覧車は、西ハイランド仙台(すでに閉鎖)から移したもの、と運転手さんから聞き、リアルに驚いていました。


・倉田さんの稽古話
あまりにも滑舌の良いダメ出し。しかし、ひどいダメ出しに凹むと、劇団員同士で、飲みに行ったりするとか。(ちゃんと慰め合ってるんですね。)「藤原さんが今日ここにいたら、ずっと話しているでしょう。」


・バス酔いしやすい笠原さん
進行方向と逆に立ち、ガイドさん風に話していると酔ってしまうらしく、それでも無理をおして少しの間、話してくれました。


・「虹を架けよう」
震災で被害を受けた宮城県の土地名を歌詞に入れた「虹を架けよう」という曲を紹介してくれました。福島県版もあるそうです。


・スタジオライフあるある
 「僕たち、ファンの方に写真を撮影してもらっていると、『誰だれ?』と一般人が寄ってくるんですが、がっかりしたような表情で帰っていくんですよね。なんか申し訳なく思う一方、ちょっと傷ついたりもするんですよね。」→ まさに今回もそんなシーンが度々ありました(笑)。


今回、訪問したのは、閖上石巻、女川、南三陸町でした。その中でも特に印象的だったのは、女川です。3年ほど前、個人的に復興バスツアーに参加して見たところだったのですが、本当に何もなくて砂地ばかりだったのが、新しい街が形成されていて(運転手さんの話だと、日々、道の区画も変わっているそうです。)驚きました。


女川駅も綺麗な木造建築で、館内に温泉もある、とテレビでの紹介を見ていましたし、若い学生達の意見を取り入れて街づくりを進めていたそうです。それもあって商店街にも希望が満ちていて、歩いているだけで非常に元気な気分になりました。有名なダンボルギーニ(段ボールで作成した、原寸大ランボルギーニ模型)も見られましたし、もっとゆっくり街歩きしたかったな。



それから、南三陸町に”友情の印”としてチリから送られたモアイ像。かつてチリ大地震津波で被害を被った時に、南三陸町から支援を受けた歴史があったということも初めて知りました。目が書き込まれているので、最初は偽物かな(失礼)と思ったのですが、本物だそうです。


ジモティにも知らない新しい見どころが沢山生まれていて、何よりも少しずつ日常を取り戻してきている被災地に、安心した部分もありました。ただ楽しいだけのイベントもいいですけど、日本の今を感じられる有意義なツアーだったなあ、と思いました。曽世さんと笠原さんにつくづく感謝!