雅・処

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少年Aの書いた「絶歌」買ったとして、そんな不吉な本どうするの?

この数日、どうにもイライラが収まりません。その要因の一つが、元少年A(もう32歳ですが)の書いた「絶歌」発売という事件です。もちろん、本は読んでません。どうやら売り切れ御免らしく、どこでも見かけてもいません。


ただ、様々なニュースを読んでるので、その断片なんかは伝わってきます。そして、沢山の人々のやるかたない憤りも痛いほど伝わってきます。あの「神戸児童連続殺傷事件」をリアルタイム報道で見た世代の人間としては、あの衝撃を未だに忘れることはできません。今でも須磨区という地名を聞いただけで、ドキッとしてしまうほど。


今でも残忍な事件が起こる度に、”全てのルーツは酒鬼薔薇に繋がる”と、思わざるをえないのです。ここ最近だって、川崎中1事件、佐世保高1事件、名古屋女子大生事件が起こり、これらの猟奇的な少年事件を思うたびに、それに勝るとも劣らない残忍さで世間を驚愕させたあの少年Aの事件が思い出されてなりませんでした。


当時、いろいろと問題を提起した少年法の制約の下で、たった7年で社会に復帰させられた少年A。たとえどんなに更生した、と言われようが、今でもこの”少年A”だけは、間違いなく死刑に値すべき人間、と信じております。恐らくこの日本で、身内でも被害者でもないけれど、この元少年への憎悪を持つ人間は数多いでしょう。


だからこそ、彼は自分が犯した罪の重みに耐えられずに(というか、”構ってちゃん”なんでしょうね)、性懲りもなく「存在意義」とやらを振りかざしたのではないでしょうか。考えてみれば、いつかこういった形で世間を騒がせる日がくるような予感めいたものはありました。マスコミも事件が起こる度に蒸し返すわけですから、忘れられないということは一つのパワーとして彼の背中を押したのかもしれません。


ただ、早すぎるんですよね。20年も経たないうちに「もうノコノコ出てきやがったか。」ぐらいな状態です。「(自分が)苦しくてたまらないから」ってあれだけの残虐な殺人を犯していているのだからむしろ当然だと思うんです。誰も同情はしないでしょう。むしろ、今回のことで、被害者の家族は絶対に彼を許さないと、心に誓ったでしょうし、かなり沢山の一般庶民を再び怒らせたわけです。


実名や実際の顔を出さないなんて卑怯だ、って怒りの声、それはもうホントその通りなんです。ただ、もしそれができたら、少年Aの周りから人々がサーッと逃げていくのは間違いありません。たとえどんなに更生プログラムを体験して、罪を償った(私はそれすら信じられません)、と言っても誰も信じる人はいないと思います。


関係ない遠くで他人事のように眺めていられるなら安全でしょうが、隣の家の住人だったら・・・やはり耐えられません。私は、生きてる限り、この少年Aを理解することも許すことも絶対にないと確信しているので、壮大なポエム調の美辞麗句を並べて手前勝手な私小説を描かれようと、なんら感動することはないと思います。


「絶歌」は、初版が売り切れで今オークションで値が吊り上ってます。でも、皆コレ、読んだとしてどうするのでしょうか?自宅の書棚なんかには、ずっと置きたくないですよね。ただただ汚らわしい。気持ち悪いオカルト本や心霊写真のような本より、もっと気持ちが悪いし、タチが悪すぎる。


何人もの幼い子供達を、己の快楽のためになぶり殺しにした少年時代。それだけを心の拠り所として高らかに謳いあげる、惨めなオッサンの小説でしかないです。


子供のいる家庭なら尚更、興味本位で読んでとっとと手元から抹殺したいでしょう。下手に子供が読んで影響され、呼び覚ましてはいけない闇の感情が出たりしたら目も当てられません。この本は、ひとしきり世間を騒がせて、どんどん人の手を渡り歩いて、一部のサイコマニアがお宝とする以外は、非難と嘲笑の中で消え去っていくのかもしれません。


まともに暮らせないから、本を書いて多額の印税を手にしてボロ儲け・・・ってことなんでしょうか。それでも、少年Aの罪は軽くもならないし、正体を隠して生きるという孤独からは逃れられないし、誰もキミを許しはしない、て本気で分かってるのかな。今は注目を浴びて自己顕示欲を満たし、高らかに鼓舞してればいい(気分は良くないけど)。


誰も決して元少年Aを許すことはないんわけです。日本中の人間が、また少年Aを再び忌み嫌い、永遠に憎み続けていく・・・ってすごく恐ろしいことだって、地を這うような日々の中で怯え苦しみ続ければいい。反省や謝罪の言葉なんて信じない。たとえ手錠も檻もない、私達と同じ世界に見えていても、見えない鎖が一生、ついてまわるのだから。