倉田淳さん、激動の劇団ヒストリーと劇団員を語る
昨年末のイベントのレポがあまりのボリュームのために、「どうまとめたらいいのやら・・・。」と思っているうちに早2週間が経ってしまいました。まあ、どう私が頑張っても完全収録というわけにはいきませんので、そこはこのポンコツ頭が覚えてる印象的な小ネタを寄せ集めるしかありませんね。
今回のイベントは、あと1日(すなわち2015年)でめでたく30周年を迎える、劇団スタジオライフの歴史を演出家の倉田さんの目を通して語ると同時に、各年代(入団時期に分けて)の劇団員達を倉田さんの愛と毒(笑)のいっぱい詰まった言葉で紹介していく、という試みでした。劇団員曰く、まさに「公開処刑」の巻。
暴露話の連続に、劇団員自身が時に恥ずかしさに身をよじり、時に恐ろしさにプルプル震えるという、実に嗜虐的な催しで見応えたっぷり(おいおい)の内容で、客席も大盛り上がりでした。やっぱり倉田さんの率直で本音ズバズバの言動の数々は面白いです。以下、当イベント中に出た役者達の心からお言葉。
倉田さんのダメ出しの威力は、30、40代のいい大人が泣き出すくらいなんです(by 藤原さん)
倉田さんの凄い所は、ダメ出し噛まないんですよね(by 曽世さん)
オープニングに『トーマの心臓』幕開けのバッハの曲が流れて、一瞬にして爽やかな気分になりました。「この曲を聴くと、これからトーマが始まるのかな?ってドキっとする。」と語りながら、石飛さんが登場。さらに壇上には、シニアのメンバーが集められました。藤原さん、山崎さん、笠原さんが揃い、少し後から甲斐さん、芳樹君、及ちゃんが出てきたような。
劇団スタジオライフ結成まで
まずは、故河内主宰と倉田さんの出会いからなれ初め*1、そして劇団の立ち上げの前の話まで一気に倉田さんが話をしてくれました。以前、別の機会でも何度か耳にしていたエピソードもありましたが、劇団の前身の話などかなり細かい話もあって、へえ、と思うことも多かったです。
倉田さんは、芥川比呂志さんに憧れて演劇集団”円”に入団、そこで主宰と出会ったそうです。そのうち、主宰が若手の研究生を集めて演劇活動を始めた頃、倉田さんもよく手伝っていたこと。主宰の最初のイメージは、「牛みたいな人」だったこと。それは、精力的にドタバタと動いている様がそう見えた、ということだったようですけど。
その研究生を集めた演劇グループが「竹とんぼ」で主に学校を周る活動をやっていた。しかし、学校が長期休みに入ってしまうので、その期間にも公演をしようと作ったのが劇団スタジオライフ。やがて影絵の活動なんかも始めるのですが、そのあたりの時系列は、(部外者には)ちょっとややこしい感じです。
それにしても、お金もあまりないだろうに、これだけ年がら年中動き回って芝居をしてるなんて、タフだなあ、と思いました。やっぱり溢れんばかりの情熱があったんでしょうね。
学校周りはとにかく体力勝負なので男性が多く、女性は2人しかいなかったものの、彼女達が駆け落ちやらダンサー志望で脱退やらで、どんどん抜けて男性オンリーに。ドラマのような劇的展開ですが、「そういう時代だったのよ~。」と倉田さんは、淡々と語っておりました。
『WHITE』上演時に、仕方なく女性役を男性にやらせたところ、人気が出て倍×倍にお客さんが増えていった・・・で今に至る。この辺りは、何度も聞いたことがあるエピソードですね。
(つづく)